激しい台風が通過したあの夜、私の家は突然の停電に見舞われました。新築祝いで友人たちに自慢した、最新鋭のタンクレストイレが設置された清潔感溢れる空間は、一瞬にして不安な場所へと変わりました。自動で開くはずの蓋は閉まったままで、洗浄ボタンを何度押しても虚しい沈黙が続くばかり。その時、私は「デザインの美しさ」と「非常時の実用性」の間にある深い溝に初めて気づかされました。スマートフォンのライトを頼りに便器の横を必死に探り、ようやく見つけた小さなカバーを外すと、そこには一度も触れたことのない冷たい金属のレバーがありました。取扱説明書によれば、これを数秒間引き続けることで水が流れるとのことでしたが、いざやってみると、普段の力強い洗浄音とは程遠い、どこか心もとない水のせせらぎが聞こえるだけでした。結局、家族四人が一晩を過ごすにはその手動レバーだけでは心もとなく、私は暗い雨の中を何度も往復して、庭の貯水タンクからバケツで水を運ぶことになりました。タンクレストイレをバケツで流すのは意外と難しく、勢いが足りないと排泄物が便器の底に残ってしまい、逆に勢いが良すぎると水が周囲に飛び散ってしまいます。数回の失敗を経て、ようやく適切な角度とスピードを掴みましたが、腰への負担と精神的な疲労は想像以上でした。これほどまでにトイレという存在が、日々の平穏を支えていたのかと痛感した夜はありません。翌朝、電気が復旧して自動洗浄の音が鳴り響いたとき、私はその機械音に安堵の溜息をつきました。タンクレストイレは素晴らしい設備ですが、それは電力という見えない糸によって生かされている人形のようなものだということも、今は理解しています。あの夜の経験から、私はトイレの棚に電池と操作手順を記したマニュアルを常備するようになりました。便利さは決して無償ではなく、いざという時の不便さを引き受ける覚悟と準備が必要なのだと、沈黙したままのタンクレストイレが教えてくれたのです。
タンクレストイレと過ごした停電の夜